黒埼ちとせの担当になった話
現在デレステで開催されている新イベント『Fascinate』昨年末に発表された新キャラクターのうち2人、『黒埼ちとせ』『白雪千夜』の2人が初登場し主役を務める、異例の展開が物議を醸している。
「新キャラがいきなり主役待遇」「いきなりボイス付き」などがその理由だが、そんなことは語るに値しない。
大事なのは、「黒埼ちとせが元ゴリラの心を奪ってしまったこと」そして「2人の閉じた関係にプロデューサーが存在する理由」なのだ。
●白雪千夜と黒埼ちとせ
黒埼ちとせは富豪の家柄で、何者をも魅了する美貌を持つ19歳の帰国子女であり、自分を『吸血鬼の末裔』などと嘯く茶目っ気たっぷりなお姉さん。
「かわいい」のイントネーションがかわいい。余談だけどここで杏が「本能的に苦手なタイプ」だと思ったのは好意を素直かつ独特に表現するのが、きらりを連想して「逆らいにくい」と思ったのかなと。
対して白雪千夜はそんなちとせの身の回りの世話をする従者であり、自己評価が低く、少々毒舌な気がある17歳。
Pに対しても「お前」呼びなあたりで一部のハートを掴んでいますね。あとどこがとはいわないけど72。
余談だけどこのやりとり地味に好きで、明確に「苦手、嫌い」みたいな発言、なかなかできないよね。
さて、黒埼ちとせを語るためには、まず白雪千夜について語らねばならない。
「私という人形」という形容が彼女の自己評価にマッチしており、千夜は自らを『ちとせの人生における脇役』と評している。
「お嬢さまの望むように」「お嬢さまの人生が全て」「自分には価値がない」
ネガティブなアイドルも多いデレステだが、千夜のネガティブさは異常なレベルである。
「夢のない少女」それが白雪千夜であり、「お嬢様の人生を支える」ことこそが白雪千夜の人生。そういう少女だ。
彼女は、黒埼ちとせに言われるがままアイドルとなり、お嬢さまの望むままアイドルを演じている。
「自分の意思でアイドルをしているのではない」少女。果たして彼女をプロデュースする意味はどこにあるのだろうか。その答えを、黒埼ちとせは持ってきた。
●黒埼ちとせに心臓を掴まれた話。
発端は、イベントコミュ4話である。
「全てを手に入れられるからこそ、1人では夢を見ない」
そんな少し傲慢なモノローグ。しかし、これらは全て「過去形」だ。
そんな黒埼ちとせは、あらゆる人を魅了して、虜にしてきた。1人だろうと100万人だろうとそれは変わらない。と不遜な自信を語ることもある。
そんなちとせが見せた、本心。
ちとせは「自分はもう長くない」と語る。
最初のレッスンで貧血で倒れたのも「よくあること」
千夜曰く「休学していた」というのも、無関係ではないかもしれない。
「自分が死んだ後に、千夜に千夜の人生を歩んでほしい」
「そのための魔法をかけてほしい」
この子は、最初から。
この子は最初から千夜の未来だけを案じていたのだ。
そのために、最初からプロデューサーを利用する気だったのだ。
「アイドル、楽しめるといいね」(自分が死んだ後、自分の人生を歩めるように)
こんな朝のやりとりも、事情が見えてくると深い意味があるように感じられる。
千夜はちとせのためにアイドルを演じ、
ちとせは千夜のために、世界を広げる門口を作っていた。
おそらくちとせが死んだ後、千夜は独りになってしまう。その時に、千夜が千夜らしく笑えるために。
「お嬢さまのために」ではなく、「自分自身のために」笑えるように。
主人から従者への、こんな献身があるだろうか。
黒埼ちとせにとってアイドルという行為の主体は『白雪千夜の自立』にある。
「未来のない少女」それが黒埼ちとせだ。
だから、黒埼ちとせをプロデュースするということはつまり、白雪千夜をプロデュースするということで、白雪千夜をプロデュースするということは、黒埼ちとせをプロデュースするということで。
このわけのわからない重みを受けた時に、「わかったよお前担当するよ!」と脳に刻まれてしまっていた。まるで、吸血鬼に魅了されていたかのように。
●2人の関係にプロデューサーが存在する理由
一見すると誰よりも互いのことを思い合って完結した2人だが、こんな2人だからこそプロデューサーという存在が必要になる。
ちとせの望む千夜の自立を成し得たとして、その時にちとせは笑っていられるのだろうか。
ちとせが輝かないアイドル活動なら、千夜にとってなんの意味があるのだろうか。
『「千夜の自立はさせる」「ちとせも輝かせる」「両方」やらなくっちゃあならないってのが、「プロデューサー」のつらいところだな。覚悟はいいか? オレはできてる』
そもそも、『2人の閉じた関係』などと言ったが、閉じているのは千夜の心だけなのだ。
今まで通りの時間が永遠に続くのならば、ちとせもそうしていたかもしれない。しかし、ちとせの時間はもうあまりないらしい。
まだ、千夜の心の中心は千夜にではなく、ちとせにある。だが、種はもう撒かれている。
そしてこれは全て昔話。まだ彼女たちはスタートラインにすら立っていない。
だが、スタートラインにすら立っていないからこそ、この物語は必要だった。
彼女達の物語は、これからはじまるのだから。